最近、『台北大空襲』というまあ、台北大空襲に関する台湾製アクションゲームのリリース日が決まって、同じ製作者で同名のテーブルゲームの情報も漁ってみました。それで、宣伝に使われた有名な台湾バンド『ソニック(閃靈)』の民族音楽風で台湾語の曲『暮沉武德殿』に出会って、ずっと頭から離れなかったので、ご紹介しようと思います。

ソニックの曲は大体背景ストーリーがあって、今回も例外ではありません。『暮沉武德殿』は『薫空』という曲の続編です。『薫空』では、戦時台湾の原住民であろう主人公が、薫空挺隊という日本陸軍の特攻部隊に編入されて戦場に送られて、愛する人と生別してしまいました。終戦してせっかく生きて帰れたのに、『暮沉武德殿』では今度、国民政府の白色テロで反乱分子とされて捕まって処刑され、愛する妻と死別してしまったという、実際に起こりえた悲劇を描いた曲です。




歌詞:
厝崩 橋㽎 眾生掣
霆雷 爍爁 天烏陰
砲火 銃聲 獨裁者
邪氣 屍臭 魔神仔

昨暝夢中 輕聲細說是誰人
今日亂世 改朝換代是佗一冬
武德殿外 敵我不明對誰來效忠
醒靈寺內 鬼神難分 向誰來詛誓

厝崩 橋㽎 眾生掣
霆雷 爍爁 天烏陰
砲火 銃聲 獨裁者
邪氣 屍臭 魔神仔

昨暝夢中 輕聲細說是誰人 (敢是我)
今日亂世 改朝換代是佗一冬 (敢是夢)
武德殿外 敵我不明對誰來效忠 (佮誰參詳)
醒靈寺內 鬼神難分 向誰來詛誓

向誰詛誓 等誰宣判
向誰詛誓 等誰宣判

孽鏡台 鑿目光 火薰中 愈來愈明
跤鐐手銬 拖磨聲 迷亂中 愈來愈清

萬劫不復
萬劫不復
萬劫不復
萬劫不復

數百年 戰袂煞 我輩武德
千萬人 拚袂退 勇者無敵
數百年 戰袂煞 我輩武德
千萬人 拚袂退 勇者無敵

千年也萬年
我孤魂已束縛佇遮 千年也萬年
生死簿的名字
目睭前一逝一逝 生死簿的名字

千年也萬年
生死簿的名字

數百年 戰袂煞 我輩武德
千萬人 拚袂退 勇者無敵
數百年 戰袂煞 我輩武德
千萬人 拚袂退 勇者無敵

千年也萬年
生死簿的名字

千年也萬年

和訳:
家崩れ 橋揺れ 眾生怯え
雷 稲妻 空曇り
砲火 銃声 独裁者
邪気 死臭 怨霊

昨夜夢の中 囁いたのは誰?
今日の乱世 政権交代はいつ?
武德殿の外 彼我不明 誰に忠を尽くすべき?
醒霊寺の中 鬼神曖昧 誰に誓うべき?

家崩れ 橋揺れ 眾生怯え
雷 稲妻 空曇り
砲火 銃声 独裁者
邪気 死臭 怨霊

昨夜夢の中 囁いたのは誰?(私か)
今日の乱世 政権交代はいつ?(夢か)
武德殿の外 彼我不明 誰に忠を尽くすべき?(誰に聞く)
醒霊寺の中 鬼神曖昧 誰に誓うべき?

誰に向けて誓う? 誰からの判決を待つ?
誰に向けて誓う? 誰からの判決を待つ?

孽鏡台 眩しい光 煙の中 くっきりと見えてきた
足枷手枷 苦しむ声 ぼんやりとする中 はっきりと聞こえてきた

永劫復せぬ
永劫復せぬ
永劫復せぬ
永劫復せぬ

数百年 争い終わらぬ 我輩武徳なり
千万人 戦い退かぬ 勇者無敵なり
数百年 争い終わらぬ 我輩武徳なり
千万人 戦い退かぬ 勇者無敵なり

千年も万年も
我が魂がここに束縛され 千年も万年も
生死簿の名前
目の前に一行一行 生死簿の名前

千年も万年も
生死簿の名前

数百年 争い終わらぬ 我輩武徳なり
千万人 戦い退かぬ 勇者無敵なり
数百年 争い終わらぬ 我輩武徳なり
千万人 戦い退かぬ 勇者無敵なり

千年も万年も
生死簿の名前

千年も万年も

解説:

歌詞を理解するには、まずその歴史を理解しなければなりません。武徳殿とは、大日本武徳会の本部道場であり、それに因んで、日本全国各地の支部道場も武徳殿と名付けられたそうです。日本統治時期の台湾でも例外ではなく、警察や軍人、後に民衆の武術訓練や組織、教化に使われた施設です。その中、現在の南投県埔里に昔あった能高武徳殿が特にいくつの大事件に関わっていました。

1930年、「霧社事件」という、台中州能高郡霧社で日本軍と原住民の軍事衝突が起きました。長年受けてきた差別弾圧や強制労働への不満が爆発し、蜂起した原住民たちが駐在所、学校、郵便局、公務員寮を襲撃し、女性と子供を襲わないという部族の掟を破って、日本人を無差別に殺害していました。日本軍による武力鎮圧は素早く開始しましたが、山を包囲して砲撃や空襲、さらに蜂起軍の部族と敵対する親日派の部族(味方蕃)を動員し、1か月以上かけてようやく制圧できました。当時制圧軍はまさに、司令部を能高武徳殿に設置しました。

「霧社事件」の後、昭和天皇にまで「事件の根本には原住民に対する侮蔑がある」とされた対原住民政策の方針が修正され、同化教育と米作の普及で原住民の生活に豊かにして、日本の統治と文化を完全に受け入れた若者も増えてきたようです。天皇陛下のために、お国のために、本物の国民になるがためにと、大和魂が部族の尚武精神と暗合すると考えた若者が自ら軍に志願して、1942年に高砂義勇隊が創立されました。

ところが、戦争が進むにつれて、戦況が不利になり、軍隊生活の過酷さ、生存率、待遇がすべて悪化する一方で、軍の戦力を補いたさと地域の間の競争で、集まった高砂義勇隊はみんな本当に自分の意志で志願したか怪しくなってきました。それでも、勇敢な性格、密林地帯に適した身体能力の高さやサバイバル知識、命令への忠実さ、集団意識も備わっていた原住民たちは、日本軍の生還と戦果に大いに貢献してきました。玉砕作戦のような戦い方もしたので、生還できた隊員は少数(一説によると3割)でした。

戦後、日本のために戦い、日本語の名前も持っていた高砂義勇隊員は戦犯として処刑されなかった者も、台湾に帰還した後に接収してもらった中華民国に忠誠を疑われ続けました。

1947年、中華民国の高圧的な統治のせいで「二二八事件」が発生しました。台湾中部の民衆と原住民が民兵を結成し、台中市政府、警察局など重要施設を占拠し、台中市とその周辺を完全に制圧しました。市民を巻き込まないように、各地へ支援に赴いた部隊を除き、民兵は新たに参入してきた学生や退役台湾人日本兵と「二七部隊」に再編して、本部を台中から埔里の武德殿に移しました。3月16日、烏牛欄の戦いが発生し、学生軍は地の利を占めて、醒霊寺の外の吊り橋で国軍と半日に渡って戦っていましたが、人数差と装備差で夜に解散することになりました。

抵抗活動に参加したせいで、台湾人日本兵の立場がさらに危うくなって、鎮圧の標的にされ秘密に処刑された人もいるそうです。『暮沉武德殿』の主人公はまさにそういう悲劇的な人生を送ったのでしょう。


さて、歴史背景を一通りお話ししたので、これからはいくつの言葉の意味を説明しようと思います。

まず、歴史を見て、武徳殿は本当に原住民にとって様々な意味がありますが、どれも戦いと関係して、あるいはどれも身分と幸福と関係していますね。平等な身分、幸せな生活のために、命を賭した戦いに出るしかありませんでした。結局、日本からも中華民国からも、忠誠に釣り合うような扱いをしてもらえませんでした。

醒霊寺の外での戦いで、学生軍30人対国軍700人との劣勢でも、国軍に200人ほどの損害を出させたのに、遊撃戦が地元の原住民から支持してもらえず、孤立無援で民兵が解散することになりました。結局、利害関係で、味方かどうかも絶対ではなかった世界でしたね。

孽鏡台とは、冥界で自身の悪を映し出す石の鏡です。悪人なら、生涯犯した悪事と業が映り出されます。善人なら、清い光だけ映ります。そして、冥界の役人が死者の魂を引導する時は死者に手枷、足枷をつけるので、孽鏡台と合わせて、ここは恐らく拷問の中で死が見えてきたことを描いたのでしょう。

「萬劫不復」、永遠に元に戻れない、不可逆という意味から転じて、永遠の苦難を意味することもあります。萬劫不復なのは死からか、戦争で犯した罪からか、それとも、罪をたくさん犯してまで愛する人を幸せに出来なかった悔しみからか…

「数百年 争い終わらぬ 我輩武徳なり 千万人 戦い退かぬ 勇者無敵なり」はまさに彼の辞世の句ですね。それを叫びながら処刑された様もまた感涙させるところです。

生死簿とは、人の歴世の生死の日にちと善悪の行いが記録されたものです。閻魔大王はこれに基づいて、役人を派遣し、寿命だった人の魂を引導します。生死簿の名前って、同じように地縛霊になった人々の名前か、それとも戦場で殺した敵の名前か、救いはあるのでしょうか…